はるのあした

涵之如海 養之如春

神道とお産

戌の日とお宮参り、安産祈願などについて。

 

妊娠中、戌の日に近所の神社で安産祈願をした時、お守りとさらしをいただきました。そのさらしは神社の印が入っている、外見が割とうやうやしいものです。それは腹帯として巻くんじゃないの、と親からは指摘されましたが、自分は妊娠中、腹帯はしてませんでした。とにかく腹帯や腹巻をしていると、その辺りをげしげし蹴ってくる足癖の悪い小僧が中にいたのと、腹帯は日本だけの風習なんであんまり意味はないかなと思ってたからです。とボケボケしていたら、入院の持ち物リストにさらしがありまして、何に使うかというと、出産直後に子宮収縮を促すためにさらしをお腹にぐるぐる巻くんですね。

 

実際、子どもを産んだあと、さらしを助産師さんにお腹に巻いてもらって、それがある意味、お産のひとくぎりになったわけです。

 

で、こないだお宮参りをしようという話になり、「戌の日で使ったとこだし、産んだあとお腹に巻いたさらしをいただいた神社なんで、そこでいいんじゃないの」と提案したら、親族中反対する人はいませんでした。もちろん、お宮参りはつつがなく終了しました。

 

それから、今回の妊娠&お産では知人から安産祈願の有名ブランド、水天宮のお守りグッツ一式をいただきました。陣痛がきたらこの和紙をちぎって食べなさいとかあって、…実際食べても全然楽にならなかったんですけど、漠然とお産と神道の親和性は高いな、と気づかされます。

 

産んでみて思うのは、現代は医療によって安全側にひたすら倒していくから「母子ともに健康」になる確率が高いんであって、やってる事自体はやっぱり命がけなわけです。お産は生死に関わる大仕事なので、昔ながらの安産祈願とか、ハンコ入りのさらしとか、お宮参りの意味がでてくるんだな、なるほどな、と勉強になりました。

 

ちなみに、私は、在米中無宗教だと言うと誤解を招いてめんどくさいので神道だと答えていた程度の人間です。ただ、たとえば現場のヒューマンエラー対策として、*1作業前に作業者が神社でお祓いをするってのは、それで精神的に落ち着くなら、大真面目にどんどんやったほうがいいと思っています。生死に関わるお産もそうですね。お守りだったり、さらしだったり、お宮参りなり、何か大きな仕事に取り組むときの、健やかな精神を保つツールとしての神道は結構便利なもので、これも日本人の知恵かなと思っています。

子どもが産まれた日のこととか

4月末に無事、男の子が産まれました。落ち着いてきたので、その周辺のはなしなど。子どもが産まれたのは4月末、予定日6日超過です。

 

 

前日のこと
予定日5日を過ぎた朝5時、下腹部にどかーんという衝撃を感じて目覚め、急いでトイレに駆け込んだらおしるしがありました。その日はちょうど検診がある日だったので、朝9時に産院へ。この時点ではお腹の張り*1はまだ弱く、子宮口が2cm開いているだけで子どもは降りてきていない状態でした。

検診後、昼過ぎから急にお腹の張りが強くなり、午後2時に再度産院へ行きましたが殆ど所見に変化ナシ。この後、延々夜まで不規則なお腹の張りと付き合うことになります。

お腹の張りが5分おきになったのは、夜12時前です。自分で産院に電話、入院の許可が出たので夜中、親の車に揺られながら張りが5分きっちり置きにくること3回。産院に到着後、すぐに分娩室にはいりました。

 

 

日付変わって産まれた日のこと
その後、朝8時まで延々5分おきの陣痛。夜中で眠くて意識が落ちそうになると、痛みで叩き起こされる。痛みが遠のくと、また意識が落ちそうになる。この繰り返し。ときどき、腰とお尻に鈍痛。最初はうなってましたが、途中から痛み逃しの呼吸をしないと耐えられなくなり、おし黙るようになりました。

 

また、この時間は無痛分娩の処置を待つ時間でもあったので、水分、食べ物は一切×でした。そして朝8時、この段階でだいぶ子宮口も開いて、子どもの頭もばっちり陥入。つまり、本人的にはけっこう痛いし一睡もできなかったのだけど、これでも微弱陣痛だったのです(本番の陣痛だったらとっくに朝方に産まれていた)。9時前に担当医の先生が到着し、そこからもともと希望していた無痛分娩の処置が始まりました。

 


無痛分娩というのは親知らずを抜くときが痛く無いようなもの
これはうまいたとえだと思います。つまり、虫歯になってる間は痛い(陣痛である程度出口が開くまでは)けど、一番痛い歯を抜く時(産まれる時)は痛く無い、という。ちなみに産後は子宮が収縮したりとか、色々、実は結構痛いですよ。女性ってこんなに痛い目にあうのね、とぐったり。

無痛分娩はネットで調べると色々ありますが、私が経験したのは腰のあたりにチューブをいれそこから麻酔をかける硬膜外麻酔と、陣痛促進剤を併用するタイプです。最初に左腕に水分&栄養補給と促進剤の点滴の経路を確保、腰に麻酔用のチューブ。チューブは背中に医療用テープでベタベタ固定。ちなみにチューブを入れる時は、チューブよりもお腹の張りのほうがはるかに痛いのでどうってこたないです。

そして麻酔と陣痛促進剤を、交互に入れていきます。陣痛促進剤でお腹の張りを強く、また間隔を短くし、子宮口が開くのを促進しつつ、麻酔を増やして強まる痛みを緩和していく、って感じです。

んで硬膜外麻酔、すごいですよ。1回目の麻酔が入って15分ぐらいでお腹の張りがいっきに消え、そこから産む直前まで、立会いをしてた旦那と淡々といつも通りの会話をしてました。その後促進剤で張りが強くなっていくなか2回目、3回目の麻酔がはいったと記憶しています。

ただ、無痛分娩の場合、自分で張りが認識できないので、いきみかたがわかりにくい。なので最後、子どもを出す肝心なところでてこずりました。いきむってのは、定期的な子宮収縮の一番強くなる最大点、つまり腹圧が最大になる点を狙って腹圧をさらにかけることです。麻酔がなければ、本来襲ってくるべき激痛にあわせて一気にどかっと腹圧をかければ一発で出る。ところが、無痛分娩の場合麻酔がきれいに効きすぎて、張りがよくわからない。張りっていってもお腹がふるふる細かく震えるぐらいしかわからないので、母親側が子どもを押し出すタイミングがよくわからなくて、ここはちょっと大変でした。

結局担当医の先生と、助産師さん2人、合計3人がかりで介助してもらい、子どもが出てくる時は、なんか固いものが体を一気に突き抜ける感触がありました。なんか固いもの、っていうのがたぶん子どもの頭です。無痛といえば「静かなお産」と言いますが、確かに妊婦が叫ばない、暴れない。出てくる時は痛くないけど、やっぱり感動しますし、うわこれが入ってたんだ女の人ってすごいな、と思いました。その時はとにかく産むことに夢中でしたが、今から考えると断崖絶壁を飛び越えて着地したような感じというか、後から振り返ったら、やっぱりお産って命がけなんですね。

 


やってよかったこと、陣痛やお産のこと、子どものことをノートに書いておくこと
昨今はiPhoneの陣痛アプリというのもありますが、私はアナログに大学ノートに痛みが来た時刻をこつこつ書いてました。出産後、入院中に眠れなくて、頭を整理するためにどのようなお産の経過をたどったか、も書き足しました。今読み返すと、特に入院前の張りが強くなってきて、だんだんメモどころじゃなくなって、字が乱れてぐだぐだになっていくところなんか、とても生々しい。これもひとつの記録かなと思います。

 

その後余ったページには、時々、産まれたあとの子どもが夜起きる時刻、ミルクor授乳の時刻を書いています。だんだん子どもの昼夜の区別がついてきたな、とか、ミルクを飲む量が安定してきたな、とか色々気づくようになります。

新生児の頃は夜に起きる時刻も安定せず、ミルクとオムツを交互に1時間おきに起きる日もありました。さらにその後なかなか寝なくて、寝るまで2時間ぐらいつきあったりするので、産後の肥立ちもあまりよくない中これほんとにどうしようかな、大丈夫かなとか思ってました。最近はだいぶ子どもも自分も落ち着いてきて、夜に起きるのもきっちり毎日同じ時間、12時、3時、5時にまで減りました。

 

 

子どもができると年を取るのが怖くなくなる

子どもが産まれると、自分が老けること、年を取ることが怖くなくなりました。子どもはいつ寝返りをうつんだろう、首がちゃんとすわるのは、歩くのは、言葉を喋り始めるのは、、と子どもの成長と日数を数えるようになる。子どもによって、自分も少しずつ親に、また大人になっていくように思います。