はるのあした

涵之如海 養之如春

すべて本人の受け取りかた次第

“子育てへの妙な圧力は呪術じゃなかろうか | プレタポルテ by 夜間飛行” http://t.co/HhQxWe5N

いや、別に相手は呪いをかけるつもりは無くて、言ってるほうはなんも考えてないと思うんです。たんに受け取り側の自分に余裕がなくて、呪いとして勝手に受信しているだけでしょう。呪いとして自分が受けとって、そして自家中毒のようにそれが全身にまわって、より苦しくてしょうがない、という。起点は呪いじゃなかったんだけど、呪いとしていずれ機能しはじめ呪いが成就する。さらに、それを呪いとしてtwitterとかブログに書いちゃって、RTされて拡散し、その呪いが誰かまた新しい人を傷つけていく。


育児に余裕が無い時なら、自分もそういう気持ちになることはあります。やっぱり、5ヶ月めぐらいで子どもがずり這いでもきょもきょ動くようになって、しかも夜泣きが時々あって、自分はろくに寝れてない、そういう辛い時に義母が「海外旅行に行くから、この週は孫の面倒みれないわーおほほほ」と言われたときは正直殺意抱きましたし。


結局、相手は全く何にも考えてなくて、その瞬間しか自分と子どもと関わってなくて、それで思いつきで物言うんですけど、それが正鵠を得ている時、そこそこあってる、完璧に的がずれてるときがあるわけですよ。もっと自信持ちましょうよ、自分に言い聞かせるようですけど、一番子どもと関わっていて子どものことを思い考えているのは親である自分です。


私はおっさんが多い会社にいて、わりと育休をとることに寛容な会社な(そのわりにギリギリまで仕事つっこまれたけどな!)わけですが、「優等生」「折り目正しい良い子」でいることを結構強制される(本音とほんとの性格はともかく)ことがあります。もちろん、与えられた仕事をきちんとやるのがいちばん優先度が高くて、ついでに外面上暗に周囲から要請されるものがあるわけです。それって誰得、かもしれないけど、仕事上そうせざるをえない社会的立場ってのもあります。で、実際とりあえず「素直な良い子」でいると、おっさんおばはんがわいてきて「世間のふつうのロールモデル」にまきとられる一環として、色々いらんことも言うが、役に立つことも教えてくれます。つまり、「良い子」でいることが、一種の利権として働くんだよな、という実感があります。書いてて気づいたけどこの飼いならされてる感、超社畜ですね。


「こと子育てと産前産後については、年よりとかまわりのいうことは(とりあえず)聞いた方がいい」というのがおっさん共の意見で、自分もとてもおっさんくさいのでそれなりに聞いておいたわけです(聞いたふりもする)。その「素直な良い子」で表向きにこにこしているだけでも、結構、それなりにいい思いをしてきたので、とりあえずそれで育休設定とか自分の実家に里帰りとかしてみましたよ。そうすると、なんだかんだごたごたしたけど実母と仲良くなってきたし、てかばあばって超強力な味方ですよ!奥さん!育児がスゲー楽になる、いきなり。なので、とりあえず人の話は聞いておいたほうがいいなあとか思いつつ。


ただ、やっぱりときどきおや?ってことを言ってくる人はいます、でも、いちいちそこに科学の正論をふりかざすのも野暮だよね。たとえば「完母にしなはれ」とか、その辺の道端で会ったじいさんばあさんから「母乳ちゃんとあげてるの、出てるの」とかゆってくることがあったとして、ものは言いようで、たとえばいちいち母乳オンリーはビタミンKが不足しますよとか言わんでもいいだろ、だってビタミンKシロップなんてまともな産院ならちゃんと飲ませるし。実際、断然自分は混合派だけど、「そうですね、がんばってほぼ、完母ですけど*1時々ミルク足す感じでー(営業スマイル)」とか言っとくと角は立たない。じじばばは「おおそうですかー、がんばってるのねー」とにこにこして終わりですよ。じじいばばあの言葉が、呪いにならない。


だいたい、誰がどうやってあなたが完母であるかどうかを確認するというのだ。コンプライアンスが絡む話でなし、完母かどうかで自分の育児や、子どもの価値が毀損されるわけでもない。


結局何を言われても受け取り側がどうとらえるかって問題であって、やっぱり、言葉が呪いとして発動し、機能しちゃうような解釈を自分がすると、自分が感情的に苦しむことになるし、それをまき散らしていくようなら、そういう受けとめ方はしないほうがいいんじゃないの、という感じはします。難しいけど。

*1:完母の時期もあったので嘘ではない